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大阪地方裁判所 昭和39年(行ウ)29号 判決 1967年1月28日

大阪府吹田市四、三一九番地の四

原告

勇我光政

右訴訟代理人弁護士

前田常好

同府茨木市殿町

被告

茨木税務署長

大城朝賢

右指定代理人検事

川井重男

法務事務官 矢野留行

大蔵事務官 坂上寮二

本野昌樹

右当事者間の昭和三九年(行ウ)第二九号所得税課税標準等裁決取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

(一)  原告の求める裁判

被告が昭和三七年一一月三〇日付で原告の昭和三六年度分の所得税につき、その課税総所得金額を金七、八七一、九〇〇円としてなした更正決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

(二)  被告

主文同旨の判決

第二、主張

(一)  (請求原因)

一、原告は、農業、酪農業等を営むものであるが、昭和三七年三月一二日被告に対し、原告の昭和三六年度分の所得税につき、その課税総所得金額を金七八一、〇〇〇円として確定申告したところ、被告は同三七年一一月三〇日付をもつて右所得金額を金八、〇三〇、九〇〇円とする旨の更正決定をなした。

二、そこで原告より被告に対し、同年一二月一二日異議の申立てをしたが、その日の翌日から起算して三月を経過するも右異議申立てについての決定がなされなかつたので、国税通則法八〇条により大阪国税局長に対し審査請求がされたものとみなされたところ、同国税局長は同三九年四月二一日付をもつて原処分を一部取消し、右所得金額を金七、八七一、九〇〇円とする裁決をなした。

三、しかしながら、原告の昭和三六年度分の所得金額は申告額のとおりであつて、本件更正決定はこれを過大に認定した違法な処分であるから、その取消しを求めるため、本訴請求に及んだものである。

(二)  (答弁)

一、原告主張の請求原因第一、二項の事実はいずれも認める。

二、しかし、原告の昭和三六年度分の課税総所得金額は金七、八七一、九〇〇円であるから、本件更正決定はなんら違法ではない。その詳細は以下のとおりである。

(1) 営業所得 金 六六一、〇〇〇円

(2) 農業所得 金 一二〇、〇〇〇円

(3) 譲渡所得 金七、五四九、四一二円

譲渡所得の明細は次のとおりである。

(イ) 収入金額 金二一、七八五、五〇〇円

(a) 原告は昭和三五年二月一六日、自己所有の別紙目録第一記載の農地合計三反三畝二六歩(以下、第一物件という)を訴外北野土地株式会社に代金一、〇一六万円で売り渡し、同三六年二月二日右所有権譲渡につき大阪府知事の許可を受けた。

(b) 原告はかねてより訴外木下光弘より別紙目録第二記載の農地合計一反七畝一七歩(以下、第二物件という)を賃借してこれを耕作していたが、昭和三五年一〇月一九日右木下が第二物件を前記北野土地株式会社に売却した際、当事者間の合意によつて右賃貸借を解除するとともに、木下より離作料として金二、六三五、五〇〇円の支払いを受け、かつ、右賃貸借の合意解除は翌三六年一月三一日大阪府知事の許可を受けた。

(c) 原告は昭和三六年九月七日訴外船井実に対し、原告所有の別紙目録第三記載の農地(以下、第三物件という)を代金八九九万円で売り渡し、同月一一日右所有権譲渡について大阪府知事の許可を受けた。

(d) したがつて、右譲渡代金および離作料の合計額二一、七八五、五〇〇円が、原告の資産の譲渡によつて収入すべき金額である。

(ロ) 取得価額 金六、〇〇八、四七五円

(a) 原告は第一物件を昭和二四年六月、代金二、九八三円で取得したものであるから、譲渡所得算出のための同物件の取得価額としては、これに二・六を乗じた金七、七五五円である。(所得税法((昭和三六年法律三五号))一〇条の四、二項一項、資産再評価法二一条二項)、

(b) 第二物件の借地権は、昭和二一年三月金一八円で取得したものであるから、その取得額としては、これに四〇を乗じた金七二〇円である。(同右)。

(c) 第三物件は、昭和三六年四月頃訴外西田幸次郎より代金六〇〇万円で取得したものである。

(d) したがつて、本件譲渡物件の取得価額は、右の合計額金六、〇〇八、四七五円である。

(ハ) 譲渡経費 金五二八、二〇〇円

(a) 第一物件の譲渡経費は、仲介人山岡藤太郎に支払つた売買仲介手数料金一〇三、二〇〇円である。

(b) 第二物件の譲渡経費は、仲介人山岡藤太郎に支払つた売買仲介手数料七五、〇〇〇円である。

(c) 第三物件の譲渡経費は、仲介人鳥野巌らに支払つた売買仲介手数料三五〇、〇〇〇円である。

(d) したがつて、本件譲渡物件の譲渡経費は、以上の合計額金五二八、二〇〇円である。

(ニ) 特別控除額(昭和四〇年法律三三号による改正前の所得税法九条一項) 金一五〇、〇〇〇円

(ホ) したがつて、原告の譲渡所得は、右収入金額から取得価額、譲渡経費および特別控除を控除した金額の十分の五に相当する金額七、五四九、四一二円である。

(4) 総所得金額 金八、三三〇、四一二円

以上のとおりであつて、原告の昭和三六年度分の総所得金額は、右各所得金額の合計額金八、三三〇、四一二円である。

(5) 所得控除 金四五八、五〇〇円

(イ) 社会保険料控除 金 二六、〇〇〇円

(ロ) 生命保険料控除 金 三二、五〇〇円

(ハ) 配偶者控除 金 九〇、〇〇〇円

(ニ) 扶養控除 金二三〇、〇〇〇円

(6) 課税総所得金額 金七、八七一、九〇〇円

したがつて、原告の昭和三六年度分の課税総所得金額は、右総所得金額から所得控除の額を控除した金七、八七一、九〇〇円である。

(三)  (被告の答弁に対する原告の主張)

一、原告の昭和三六年度分の営業所得および農業所得が被告主張のとおりであることは認める。

二、譲渡所得については次のとおり主張する。

(1) 収入金額

原告が第一物件および第三物件を被告主張のごとき代金で北野土地株式会社および船井実に売り渡して知事の許可を受けたこと、第二物件についての賃貸借を被告主張のように合意解除して地主から離作料を受領し、知事の許可を受けたことはいずれも認めるが、右離作料の金額は金二、一〇八、〇〇〇円である。

(2) 取得価額

本件各譲渡物件の取得価額が被告主張のとおりであることは認める。

(3) 譲渡経費

第一物件および第二物件の譲渡経費が被告主張のとおりであることは認めるが、第三物件については被告主張の売買仲介手数料三五〇、〇〇〇円のほかに、さらに金五〇三、三四〇円の譲渡経費を支出している。すなわち、原告は第三物件を西田幸次郎より買い受けた際、これを自己名義に登記しないでいる間に、仲介人である訴外北口太郎が勝手に同人名義に登記したものであるが、このため原告は、同人に対して賦課せられた不動産取得税、固定資産税等を自ら負担せざるをえないこととなつたものであるから、かようにして支出した金五〇三、三四〇円は右物件の譲渡経費として加算さるべきものである。

三、しかして原告は、耕作用財産である第一物件および第三物件の所有権ならびに第二物件の耕作権を前記のごとく譲渡するとともに、その譲渡の日の前一年以内または譲渡の日の属する年の一二月三一日までの間にあたる昭和三六年六月三〇日、耕作の用に供すべき土地として別紙目録第四記載の土地(以下、第四物件という)を勇我勲より代金一一、三五二、八六〇円で買い受け、かつ、同年暮頃原告と世帯をともにする次男の勇我良助が勇我秀子、勇我勲、辻米子らに依頼して右土地の除草をなさしめるとともに、翌三七年三月二六日には、同地に植付けたびろう樹、しゆろなどの周囲の除草をなし、さらに大豆の種播きをし、もつて右土地の取得の日から一年以内にこれを耕作の用に供したものであるから、昭和三六年当時施行の租税特別措置法(以下、特別措置法という)三五条により、前記譲渡所得については非課税の取り扱いがなさるべきである。

四、なお、被告主張の所得控除のうち、社会保険料控除、生命保険料控除、配偶者控除の点はいずれも認めるが、扶養控除の点については争う。すなわち、昭和三六年度においては、原告の長男勲は原告と生計をともにしながら病気療養中のためなんらの収入もなかつたところから、妻秀子、長男康彦とともに原告に扶養されていたものである。したがつて、勲および秀子について各金五万円、康彦について金三万円、合計一三万円が扶養控除の額に加算さるべきである。

(四)  (原告の主張に対する被告の反論)

一、原告が第三物件について仲介手数料以外に支出したと主張する金額は、いずれも資産を保有することによる費用であつて譲渡に関する費用ではないから、かような金額は譲渡経費に算入すべきものではない。

二、原告が昭和三六年六月三〇日その主張のような土地を取得したことは争わない。しかしながら、右土地はかねて土取徳次郎の所有であつたところ、訴外森口兵太郎が同人からこれを賃借して耕作していたものであつて、勇我勲が昭和三六年四月二五日右土取からこれを買い受け、さらに原告が勲からその譲渡を受けた後においても、引き続き耕作を続けていたものであり、原告が現実にこれを耕作したような事実はないから、原告としては右土地を取得した後一年以内にこれを耕作の用に供したものとはいえず、したがつて特別措置法三五条を適用すべき余地はない。

三、なお、原告の長男勲は、昭和三六年度中多額の収入があり、独立した生計を営んでいたものであるから、同人とその家族二名は原告の扶養家族とはいえない。ちなみに、勲は同人の昭和三六年度分の所得税につき、豊能税務署長から総所得金額一、九五七、四二八円の決定を受けたものであるが、右決定は同人からなんらの不服の申立もなかつたためそのまま確定している。

第三、証拠

(一)  原告

甲第一ないし第三一号証、検甲第一号証の一ないし六を提出し、証人石橋正好、同山岡藤太郎、同鳥野巌、同北村教子、同勇我勲の各証言を援用し、乙第二、三号証は不知、その余の乙号各証の成立は認める、検乙第一号証の一ないし六は不知(ただし、被告ら主張の土地の写真であることは認める)、と述べた。

(二)  被告

乙第一ないし第四号証、検乙第一号証の一ないし六を提出し、証人石橋正好、同山岡藤太郎、同木下光弘、同森口兵太郎、同小川弘、同木下末納、同松本信太郎の各証言を援用し、甲第五、第一〇ないし第一三、第一六、第一九、第二三、第二五、第三〇、第三一号証は不知、その余の甲号各証の成立は認める、検甲第一号証の一ないし六は不知、と述べた。

理由

一、原告主張の請求原因第一、二項の事実および原告の昭和三六年度の営業所得が金六六一、〇〇〇円、農業所得が金一二〇、〇〇〇円であることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこで次に、同年度における原告の譲渡所得について検討する。

(1)  収入金額

(イ)  原告が昭和三五年二月一六日、自己所有の第一物件を訴外北野土地株式会社に代金一、〇一六万円で売り渡し、同三六年二月二日右所有権譲渡について大阪府知事の許可を受けたこと、同三六年九月七日訴外船井実に対し、原告所有の第三物件を代金八九九万円で売り渡し、同月一一日右所有権譲渡について大阪府知事の許可を受けたこと、さらに、かねて木下光弘より賃借して耕作中の第二物件につき、昭和三五年一〇月一九日当事者間の合意によつて賃貸借を解除した際、右木下よりいわゆる離作料の支払いを受け、かつ、翌三六年一月三一日右賃貸借の合意解除につき大阪府知事の許可を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(ロ)  しかして被告は、原告が右木下より支払いを受けた離作料の金額は金二、六三五、五〇〇円であると主張し、原告はこれを争うので考えるに、証人山岡藤太郎の証言により真正に成立したと認められる乙第二号証、証人山岡藤太郎、同木下末納、同石橋正好の各証言および弁論の全趣旨を総合すると、木下光弘がその所有にかかる第二物件を北野土地株式会社に売り渡した際、木下と原告との間において、坪当り金四、〇〇〇円(坪当りの売買代金を金一〇、〇〇〇円としてその四割に相当する金額)を離作料として支払うとの話合いが一応成立し、木下より原告に対し合計金二、一〇六、〇〇〇円の金員が支払われたこと、しかしながら、右離作料の金額については原告においてなお不満をもちさらに高額の金員の支払を求めて容易にその要求を撤回しようとしなかつたところから、仲介人の山岡藤太郎らにおいてあれこれ斡旋の労をとつた結果、結局、右物件の買主である北野土地株式会社において木下に代つて坪当り金一、〇〇〇円の金員を支払うこととなり、昭和三六年二月一三日同会社より右山岡を通じて原告に対し、金五二七、五〇〇円の支払いをなしたことが、それぞれ認められ、証人勇我勲の証言中右認定に反する部分は採用し難く、他にこれを左右するに足りる証拠はない。そうだとすると、原告が右離作料として支払いを受けた金額は、合計金二、六三五、五〇〇円であるといわなければならない。

(ハ)  しからば、右譲渡代金および離作料の合計額二一、七八五、五〇〇円が、原告の資産の譲渡によつて収入すべき金額であるというべきである。

(2)  取得価額

本件各譲渡物件の取得価額が合計金六、〇〇八、四七五円であることは当事者間に争いがない。

(3)  譲渡経費

(イ)  第一物件の譲渡経費が仲介人山岡藤太郎に売買仲介手数料として支払つた金一〇三、二〇〇円であること、第二物件の譲渡経費が右同人に仲介手数料として支払つた金七五、〇〇〇円であること、さらに第三物件を譲渡するにつき、仲介人鳥野巌らに売買仲介手数料として、金三五〇、〇〇〇円を支払つたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(ロ)  しかして原告は、第三物件につき、これを前主より買い受けた際、自己の所有名義に登記することなく仲介人である北口太郎名義に登記したことから、同人に課せられた不動産取得税、固定資産税等を原告自ら負担せざるをえなくなつたものであるから、これをも譲渡経費に加算すべきであると主張する。しかしながら、かりに右のごとき支出がなされた事実があるとしても、それらはいずれも、第三物件を譲渡するに直接必要な費用であるということはできないから、これをもつて譲渡経費とすることはできず、したがつて、同物件に関する譲渡経費としては仲介人に支払つた前記金三五〇、〇〇〇円を超えるものではないといわざるをえない。

(ハ)  そこで、本件譲渡物件に関する譲渡経費は以上の合計額金五二八、二〇〇円であることになる。

(4)  譲渡所得

以上の次第で、原告の昭和三六年度における譲渡所得は右収入金額から取得価額、譲渡経費および特別控除額(金一五〇、〇〇〇円)を控除した金額の十分の五に相当する金額七、五四九、四一二円であるといわなければならない。

三、しかるところ原告は、特別措置法三五条により、右譲渡所得については非課税の取り扱いがなさるべきであると主張するので、次にこの点について検討するに、原告が耕作用財産である第一物件および第三物件の所有権と第二物件の耕作権を譲渡するとともに、その譲渡の日の前一年以内または譲渡の日の属する年の一二月三一日までの間にあたる昭和三六年六月三〇日、第四物件を勇我勲から代金一一、三五二、八六〇円で買い受けたことは、当事者間に争いのないところである。しかしながら、原告が右物件を耕作の用に供する財産として買い受け、かつ、取得の日から一年以内にこれを耕作の用に供したとの点については、証人勇我勲および同北村教子においてその旨供述しているのみで、他にこれを認めるに足りる証拠はなく(検甲第一号証の一ないし六の証明力は、もつぱら証人勇我勲の証言の信用性にかかつている)、しかも、右北村証言はその供述自体きわめてあいまいであつて信憑性に乏しいものといわざるをえないのである。のみならず、証人森口兵太郎、同松本信太郎、同小川弘の各証言および検甲第一号証の五、六、検乙第一号証の一ないし六によると、第四物件はかねて訴外土取徳次郎の所有であつたが、昭和二五年頃から森口兵太郎においてその使用収益権を取得するとともに、昭和三五年四、五月頃まで稲作を続けてきたこと、しかるに、その頃、勇我勲が前記土取徳次郎から右土地の所有権を取得すると同時に、右森口の諒解を得ることなく土建業者に請負わせてこれに地盛りをするにいたつたので、森口よりきびしく抗議したが、勲の聞き入れるところとならなかつたこと、そこで森口は、勲らの立ち入りを阻止するため早速第四物件の周囲に有刺鉄線を用いて柵を作り、地盛りされた同物件に甘藷の植付けを行なつたこと、さらに、昭和三六年六月頃には森口において右地上にフエニツクス、ワシントニアなどの熱帯植物を植え付けたが、同三七年末頃に前記勇我勲らによつて右熱帯植物が引き抜かれるまでの間、右土地は手入れする者もないまま、雑草の生い茂るのにまかされていたこと、その後、同土地は空地の状態のままにおかれ、現在は簡易建物一戸が建てられて、これに「売宅地、所有者勇我勲」の看板がはりつけられていること、なお、原告は老令かつ病身であり、また、原告の住居と第四物件とは数キロメートル距つていること、以上の各事実が認められるのである。

しかして、右認定の事実からすれば、むしろ、原告としては第四物件を耕作の用に供する財産として買い受けたものではなく、また、取得の日から一年以内にこれを耕作の用に供したものでもないことが窺われるのであつて、証人勇我勲の前記証言はにわかに採用し難いといわざるをえない(なお、検甲第一号証の一ないし六が、昭和三六年一〇月もしくは一二月頃に撮影されたものであるとの点については、証人勇我勲、同北村教子がその旨供述しているのみであつて、これを裏付けるべき証拠はなんら存在しないから、右各号証が前記事実を証するに足りるものとすることはできない。)。そうだとすると、原告が第四物件を耕作の用に供する財産として買い受け、かつ、取得の日から一年以内にこれを耕作の用に供したとの点については、結局これを認めるに十分な証拠が存しないことに帰するから、特別措置法三五条を適用することはできないといわなければならない。

四、所得控除について

原告の昭和三六年度分の所得税に関する所得控除のうち、社会保険料控除の額が金二六、〇〇〇円、生産保険料控除の額が金三二、五〇〇円、配偶者控除の額が金九〇、〇〇〇円であることは当事者間に争いのないところ、原告は、被告主張の扶養控除の額金二三〇、〇〇〇円のほかに、原告の長男勲とその家族二名が原告の扶養家族であるからその分として金一三〇、〇〇〇円が加算さるべきであると主張する。しかしながら、成立に争いのない乙第四号証および証人勇我勲の証言によると、右勇我勲が第四物件を前主土取徳次郎から代金三〇〇万円余で買い受けたのは、全く自己の資力によるものであつて、父である原告の援助によつてではなかつたこと、さらに、昭和三六年六月勲はこれを原告に金一、一〇〇万円余で売り渡し、かつ、右譲渡につき、同三九年一月二八日豊能税務署長から課税総所得金額(譲渡所得のみ)二、一八六、七一〇円の決定を受けたが(ただし、同四〇年九月一五日、右所得金額を金一、八六七、四〇〇円と更正)、右各決定は勲よりの不服申立てのないまま確定するにいたつたことが、それぞれ認められるのであつて、右の事実からすれば、同人およびその家族二名が昭和三六年度において原告によつて扶養されていたものとは到底認めることができないから、原告の同年度における扶養控除の額としては前記金二三〇、〇〇〇円を超えるものではないといわなければならない。

五、以上のとおりであるとすると、原告の昭和三六年度の課税総所得金額は、前記営業所得、農業所得および譲渡所得の合計額から右所得控除の額を控除した金七、八七一、九〇〇円であるというべきであつて、これを右同額としてなされた本件更正決定はなんら違法ではないから、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石崎甚八 裁判官 藤原弘道 裁判官 福井厚士)

目録

第一、吹田市五反島四、三七〇番地

同所 四、三七一番地

同所 四、三七二番地

同所 四、三七五番地 一、田三反三畝二六歩

(三、三五八、六七平方メートル)

第二、吹田市五反島四、三七三番地

四、三七四番地 一、田一反七畝一七歩

(一、七四二、一四平方メートル)

第三、布施市衣摺九一三番地一、田三反一畝二八歩

(三、一六六・九四平方メートル)

第四、大阪市東住吉区平野野堂町一、三五一

一、三五八 の一番地

一、田二六四坪の二

(八七二・七九平方メートル) 以上

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